「コンビニでゲロ吐いてたの、小さい子が」(S嬢はてな)
ゲロといえば思い出す。私が中学生の頃、母と一日中東京を歩き回った帰りのことである。時間に追われ、慌てていた私達は、出発間際の特急列車にとりあえず乗り込んだ。ドアの前に立ちっぱなしで、地元の駅まで二時間弱の旅。
だが、しばらくすると、私は乗り物酔いをしてしまった。たちまち顔から血の気が引き、嫌な汗が出てきた。そのうちまるで胃の中で攪拌機がぐるぐる回ってるような状態になり、ゲロが喉の奥からせり上げてきた。絶対ここで吐くわけにはいかない。でもとてもトイレまで歩けない。私はその場にしゃがみこみ、ゲロの襲来を知らせる特有の生唾を、何度も飲み下して耐えていた。
顔面蒼白の私を見た母が、せめて座れば楽になるかもしれないと、あちこち回って空席を探してきたくれた。たったひとつ空いていた席は、四人掛けのボックス席で、上品に着飾った初老の婦人と、その子供だか孫だか、幼児が二人座っていた。空いている席にはデパートの買い物袋が並んでいた。
母が事情を説明し、「その空席に娘を座らせたいので、できれば荷物を下ろしてもらえませんか」と頼んだところ、婦人はこんな風に返してきた。「私は荷物置き場として、この席の分のお金もきちんと支払っているのです。だからここに荷物を置く権利がある」と。結局、座らせてもらえなかった。
シートの背と背の隙間にうずくまり、母と婦人のやり取りを聞きながら、私が抱いたのは達観だった。婦人の非情にも毅然とした態度に、世の中にはたいした人がいるもんだと妙な感心を抱く一方、もしシートに座れたとしても、列車を降りるまでこの肉体的苦痛から開放されることは決してないだろうと分かっていた。本当に、あの辛さは耐え難い。
そしてなにより私が心を傷めたのは母のことである。自分も疲れているだろうに、恥を忍んで他人に頭を下げ、無下に拒否され憤慨している母が気の毒でならなかった。子供の為とはいえ必死になっている姿に、私はなんだか悲哀を感じてしまい、無性に涙が込み上げてきて、しばらくゲロと涙を一心に堪えていた。また別の意味でしんどかった。
今思うと、その婦人が本当に空席の分まで料金を支払っていたか、真実は分からない。もしかしたら、私を座らせたくないがために吐いた嘘かもしれない。考えてもみれば、誰だって今にもゲロ吐きそうなガキなんか、自分の目の前に座らせたくないだろう。さて自分だったらどうするかな。正直、参ったな、と思うかもしれないな。こういことは、こんな字面の場で「こうしたい」「ああしたい」と決意を述べたってしょうがないと思ってる。その場で何ができるかどうかは、その時、その場の自分を信じて委ねるしかないのだから。
2008⁄07⁄30 16:51 カテゴリー:日常(2008年) comment(2) trackback(0)
ゲロといえば思い出す。私が中学生の頃、母と一日中東京を歩き回った帰りのことである。時間に追われ、慌てていた私達は、出発間際の特急列車にとりあえず乗り込んだ。ドアの前に立ちっぱなしで、地元の駅まで二時間弱の旅。
だが、しばらくすると、私は乗り物酔いをしてしまった。たちまち顔から血の気が引き、嫌な汗が出てきた。そのうちまるで胃の中で攪拌機がぐるぐる回ってるような状態になり、ゲロが喉の奥からせり上げてきた。絶対ここで吐くわけにはいかない。でもとてもトイレまで歩けない。私はその場にしゃがみこみ、ゲロの襲来を知らせる特有の生唾を、何度も飲み下して耐えていた。
顔面蒼白の私を見た母が、せめて座れば楽になるかもしれないと、あちこち回って空席を探してきたくれた。たったひとつ空いていた席は、四人掛けのボックス席で、上品に着飾った初老の婦人と、その子供だか孫だか、幼児が二人座っていた。空いている席にはデパートの買い物袋が並んでいた。
母が事情を説明し、「その空席に娘を座らせたいので、できれば荷物を下ろしてもらえませんか」と頼んだところ、婦人はこんな風に返してきた。「私は荷物置き場として、この席の分のお金もきちんと支払っているのです。だからここに荷物を置く権利がある」と。結局、座らせてもらえなかった。
シートの背と背の隙間にうずくまり、母と婦人のやり取りを聞きながら、私が抱いたのは達観だった。婦人の非情にも毅然とした態度に、世の中にはたいした人がいるもんだと妙な感心を抱く一方、もしシートに座れたとしても、列車を降りるまでこの肉体的苦痛から開放されることは決してないだろうと分かっていた。本当に、あの辛さは耐え難い。
そしてなにより私が心を傷めたのは母のことである。自分も疲れているだろうに、恥を忍んで他人に頭を下げ、無下に拒否され憤慨している母が気の毒でならなかった。子供の為とはいえ必死になっている姿に、私はなんだか悲哀を感じてしまい、無性に涙が込み上げてきて、しばらくゲロと涙を一心に堪えていた。また別の意味でしんどかった。
今思うと、その婦人が本当に空席の分まで料金を支払っていたか、真実は分からない。もしかしたら、私を座らせたくないがために吐いた嘘かもしれない。考えてもみれば、誰だって今にもゲロ吐きそうなガキなんか、自分の目の前に座らせたくないだろう。さて自分だったらどうするかな。正直、参ったな、と思うかもしれないな。こういことは、こんな字面の場で「こうしたい」「ああしたい」と決意を述べたってしょうがないと思ってる。その場で何ができるかどうかは、その時、その場の自分を信じて委ねるしかないのだから。
2008⁄07⁄30 16:51 カテゴリー:日常(2008年) comment(2) trackback(0)
<< 沖縄旅行記5 (北谷&ザ・ビーチタワー沖縄 後編) | ホーム | 沖縄旅行記4(北谷&「ザ・ビーチホテル沖縄」 前編) >>
リンクしてある記事も読みました。こういうのを見ると、さて自分がその場にいたらどうするか、と考えさせられます。私も子供の頃は身体が弱かったので、人前で吐く立場の気持ちはよく分かります。具合が悪くて辛い上に、子供だから感じるあの恥ずかしさ。その婦人、せめて買い物袋を提供するくらいできただろうに。色んなことを思う人がいるにしても、例の記事に寄せられた一部のコメントのひどさったらありゃしない。長々とすみません…
2008/08/08 14:33URL | 猫二匹[ 編集]
私にとってこれは、むしろ親切にされるよりも印象的な出来事でした。世の中ってそんなもんだと、子供ながらに思った次第です。
そういえば今ふと思い出したのですが、昔、電車に乗っていたら、少し離れたとこに座っていた大人が、いきなり豪快に吐いたのです。ぶわっと。それを視界の端にとらえた私は、一目散に逃げました。もう、反射的に逃げてしまいました!やっぱり私もそんなもんです。…汚い話でごめんなさいね。
2008/08/09 02:39URL | runamin[ 編集]
trackback URL
| HOME |

