2008.05.31
母のこと
この前、母の麺のゆで方がひどいなんて貶してしまったので…汚名返上しておこうかね。別に母はこのブログの存在すら知らんのだけど。最近はめっきり食べる機会が減った母の料理だが、麺類以外はたいてい旨かった。特に寿司系が得意で、あんなに母を嫌っていた祖母でさえ、母の散らし寿司だけは「うちのが一番旨い」と褒めていたんだって。つい先日、母からその話を聞いて、私はたいへん驚いた。へえ、あの強情だった祖母がねえ…。
子供の頃、友達がうちに遊びに来て、母が散らし寿司を作ってくれた。私にとってはなんてことない、いつもの味だったけど、友達は「ちゃんと酢の味がする!」と感動していた。寿司なんだから酢の味がして当然だろうに、なんのこっちゃい?と尋ねると、彼女は「うちはいつも『寿司の素』だから…」と寂しそうに言うのだった。昔、『寿司の素』というレトルトがあって、ご飯に混ぜるだけのやつね。そのとき私は、子供ながらにカルチャーショック受けました。友達のお母さんは若くて綺麗で、素敵な家に住んでて、それに比べてうちの母なんか化粧っけもなく、がさつで、家はぼろいし、私から見たら、友達の家庭環境は羨ましいものだった。だからまさか料理のことで羨ましがられるなんて、思ってもみなかったのだ。むしろ私は、母の「何でも手作り」攻撃に辟易してて、ジャンクなものに飢えてたくらいだから、なお驚いた。まあ、お互い無いものねだりか。
自分が三十代になって、ちょうど母が私を育てていた頃の年齢になって思うのは、月並みだけど、やっぱり母はスゴイ、敵わないな、ということだ。野菜でもパンでも味噌でも服でも手作りにこだわって、独自に研究して極めてゆくあのバイタリティには頭が下がる。ビニールハウスなんか身近な素材で自作してしまう。とにかく楽しんで熱中しているのだ。もぎたての野菜の旨さを私が本当に知ったのは、上京してスーパーのしなびた野菜を食べるようになってからだった。何気ない野菜のおかずが、とても贅沢だったことを思い知った。実家にいる頃は、わからなかったのだ。写真は先日送ってもらった野菜たち。全部うちでとれたやつ。最近母のパンもご無沙汰なので、また食べたいなあと思う。
別に手作り至上主義というわけじゃないけれど、母が好きでこだわったのが「手作り」ならば、私はそれを尊重したい。ダメなとこも多い母だが、好きこそものの上手なれである。それに、母が不得手な部分は、うまい具合に私ができるようになっている。んで、可笑しなもので、母が得意な分野はまるで私はダメなんだよな。でもそれでいいのだ。母は楽しんでいる。私には母のように打ち込めることがないから羨ましいくらいだよ。しかしだ、手作りに留まらず、あらゆることにチャレンジし続けている母は、なおも言う。「あーあ、なんにもできない人生だったな」と。それ聞いて、あれもこれもやってるじゃん!と突っ込んでしまった。いんや、母はまだ何か一花咲かせたいらしいです。
2008.04.20
手紙

引き出しの整理をしていたら、古い手紙が出てきた。
●●さんへ
つまらない物をいろいろ入れたけれど
實は化粧品を上げたかったんだよ
若いんだからお化粧ぐらいしなさいよ
彼にきらわれちゃうよ
●●はお化粧すると可愛い娘になるよ
す顔でゐると早く年をとってしまうよ
クリームか乳液くらいは朝晩つけなさい
こてこてしないでうっすらと
差出人は、生前の祖母。●●ってのは私の名前ね。読み返したら、なんだかじーんとしちゃった。
これはね、私が二十二の頃、すっぴんに口紅だけで会社に行っていると話したら、呆れた祖母がすぐに化粧水と乳液とファンデーションを送ってきた、その時の手紙。大正生まれの祖母は大変おしゃれな人で、人前に出るときは常にこぎれいにしていた。家族で外食する日なんか、誰よりも祖母が身支度に時間がかかってた。
二十代の頃、私は洋服や髪型には凝ってたけど、メイクはまったく出来なかった。「化粧」ってもんに気恥ずかしさを感じていて、なんか、なまめかしいセックスアピールみたいで恥ずかしかった。童顔の自分には、どうもしっくりこなくて。ミニスカートで太もも出すのは平気でも、化粧には拒否反応を示すという謎の感覚。きっと、「太もも露わ」は「娘」で、「化粧」は「女」ってイメージだったんだな。しかも化粧がビジネスマナーの内だってことも、知らなかったし。その後、祖母に貰ったファンデーションをつけて出社するようになったけど、三秒で終わるようなメイクでね。マスカラやアイシャドウを駆使するようになったのは三十代になってから。今はすっぴんで出社なんて、自殺行為だが。最近じゃすっかりメイクも濃くなり、メイクなしでは人前に出られないという衰えっぷりですよ(泣)
十八で家を出るまで、私は祖母と一緒に暮らしていた。祖母は私の母を嫌って嫌って嫌い倒して、近所中に母の悪口を言いふらしたりと、ひどい姑だったのね。そういうところが私はたまらなく嫌だったけど、どんなに嫌でも、彼女を嫌いになりきれなかったのは、やはり私にとっては母も祖母も、等しく生まれたときから共に暮らした肉親だからなのかもしれん。
祖母が入院してから亡くなるまでの数年間で、三回くらいしかお見舞いに行かなかったけど、もっと行けばよかったなあ。なんでそれが出来なかったんだろう。
2006.06.06
血は争えない
「血は争えない」という言葉があるけれど、自分や夫を見ていると、まさにその通りだと痛感する。
私の場合、自分でも呆れるほどの気の強さ、気性の荒さ、またそれを隠す外ヅラの良さなんか、まるっきり祖母ゆずりだ。そして夫に関して言えば、彼の気の小ささ、酒の飲み方なんかを見てると、若い頃の義父そのものじゃないかと思う。(←これはあくまでも夫から聞いた思い出話から私が思い描く義父のイメージである。ちなみに夫は自分の父親を嫌いではない。無論私も。)
いくら表面を繕って、親と自分は違うんだと言ってみたところで、どうしても拭いきれないものがある。例えば子供のころ嫌だなあと感じていた親の口癖なんかが、この年になってふと自分の口から出てしまうと、はっとする。それくらいなら苦笑で済むけど、もっと根本的な、それこそ根の深ーい部分で代々培われたであろう気性が、しっかり己に受け継がれていると実感するとき、私はぞっとする。それはもはや抗いようのない負の連鎖なんだよなー。笑えない話。
・・・・・・・・・・・・・
見ず知らずの他人に対する怒りはまだいい、100%純粋な怒りを放出できるから。けれどこれが身内となると、ましてや夫となると話は違う。余計な感情が不純物となって怒りの純度を下げるから、怒りを抱えたほうの精神的負担は倍増するのさ!
というわけで、夫にプンスカしてる時はとても穏やかになれない。本人にもよく言うんだけど、眠っている時の夫が一番静かでいい。お互い様だと言われたが。
【その後の追記】
私の場合、自分でも呆れるほどの気の強さ、気性の荒さ、またそれを隠す外ヅラの良さなんか、まるっきり祖母ゆずりだ。そして夫に関して言えば、彼の気の小ささ、酒の飲み方なんかを見てると、若い頃の義父そのものじゃないかと思う。(←これはあくまでも夫から聞いた思い出話から私が思い描く義父のイメージである。ちなみに夫は自分の父親を嫌いではない。無論私も。)
いくら表面を繕って、親と自分は違うんだと言ってみたところで、どうしても拭いきれないものがある。例えば子供のころ嫌だなあと感じていた親の口癖なんかが、この年になってふと自分の口から出てしまうと、はっとする。それくらいなら苦笑で済むけど、もっと根本的な、それこそ根の深ーい部分で代々培われたであろう気性が、しっかり己に受け継がれていると実感するとき、私はぞっとする。それはもはや抗いようのない負の連鎖なんだよなー。笑えない話。
・・・・・・・・・・・・・
見ず知らずの他人に対する怒りはまだいい、100%純粋な怒りを放出できるから。けれどこれが身内となると、ましてや夫となると話は違う。余計な感情が不純物となって怒りの純度を下げるから、怒りを抱えたほうの精神的負担は倍増するのさ!
というわけで、夫にプンスカしてる時はとても穏やかになれない。本人にもよく言うんだけど、眠っている時の夫が一番静かでいい。お互い様だと言われたが。
【その後の追記】
2005.10.10
心配しすぎ
父が一人旅に出た。
留守番の母はなんだかソワソワ。何度もうちに電話をかけて来る。
「お父さん、一人で大丈夫かね?」
「ちゃんとバスに乗れただろうか?」
「カメラの使い方がわかるだろうか?」
「携帯持ってないと万一の時に不便ね」
などなど、心配事のオンパレード。
あのねぇ、子供じゃないんだから。バスくらい一人で乗れるでしょ!
海外に行くわけじゃないし、私など何の心配もしていない。それなのに母の心配症ときたら異常だ。
翌日も電話をかけてきて、「今日帰ってくるはずなのにまだ連絡がない!毎日夕方に電話かける約束なのに!もしや事故に巻き込まれたのでは?!」とか大騒ぎ。
あのね、まだ午後7時ですよ。心配するの早すぎだよ!と言っても、母の場合最初からずっと心配しているのだが。「今は電車の中かもしれないし、そのうちかかってくるよ」となだめて電話を切った。その30分後、案の定「電話きた」とのこと。私は思いっきり「だから言ったじゃない〜!」と苦笑してしまった。
いつもは「所詮他人だからねッ!」「離婚したいよ!」とか言ってるくせに、そんなに心配するなんて笑っちゃう。父も父で、普段は母をバカにしてばかりいるくせに、決まった時間に律儀に電話を入れるなんて、しょぼくれた犬みたいで可笑しい。
軽蔑し合い、悪態つき合い暮らしているくせに、何十年も同じ家に住んでると、その関係は否応なく「家族」になっちゃうもんなのかなと思った。
本当に可笑しかった。
それにしても母の心配性は折紙付きだ。私が上京したての頃も、一週間連絡がとれないと、「あんた殺されたのかと思った!」とマジで飛躍しまくり。
今や子供がプチ家出しても平気な親が多い中、うちの母みたいのはいいんだか悪いんだか・・。
でももし私がずっと実家暮らしだったら、おそらく夜遊びもお泊りもさせてもらえず、未だに彼氏もいなかったかもしれない・・。
母は他人の心配ばかりして、自分のこととなると平気でコンロの火をつけっぱなしにしたり、無茶して怪我をしたりする。もう少し自分を心配してほしい。
留守番の母はなんだかソワソワ。何度もうちに電話をかけて来る。
「お父さん、一人で大丈夫かね?」
「ちゃんとバスに乗れただろうか?」
「カメラの使い方がわかるだろうか?」
「携帯持ってないと万一の時に不便ね」
などなど、心配事のオンパレード。
あのねぇ、子供じゃないんだから。バスくらい一人で乗れるでしょ!
海外に行くわけじゃないし、私など何の心配もしていない。それなのに母の心配症ときたら異常だ。
翌日も電話をかけてきて、「今日帰ってくるはずなのにまだ連絡がない!毎日夕方に電話かける約束なのに!もしや事故に巻き込まれたのでは?!」とか大騒ぎ。
あのね、まだ午後7時ですよ。心配するの早すぎだよ!と言っても、母の場合最初からずっと心配しているのだが。「今は電車の中かもしれないし、そのうちかかってくるよ」となだめて電話を切った。その30分後、案の定「電話きた」とのこと。私は思いっきり「だから言ったじゃない〜!」と苦笑してしまった。
いつもは「所詮他人だからねッ!」「離婚したいよ!」とか言ってるくせに、そんなに心配するなんて笑っちゃう。父も父で、普段は母をバカにしてばかりいるくせに、決まった時間に律儀に電話を入れるなんて、しょぼくれた犬みたいで可笑しい。
軽蔑し合い、悪態つき合い暮らしているくせに、何十年も同じ家に住んでると、その関係は否応なく「家族」になっちゃうもんなのかなと思った。
本当に可笑しかった。
それにしても母の心配性は折紙付きだ。私が上京したての頃も、一週間連絡がとれないと、「あんた殺されたのかと思った!」とマジで飛躍しまくり。
今や子供がプチ家出しても平気な親が多い中、うちの母みたいのはいいんだか悪いんだか・・。
でももし私がずっと実家暮らしだったら、おそらく夜遊びもお泊りもさせてもらえず、未だに彼氏もいなかったかもしれない・・。
母は他人の心配ばかりして、自分のこととなると平気でコンロの火をつけっぱなしにしたり、無茶して怪我をしたりする。もう少し自分を心配してほしい。
2005.08.15
憂鬱から一転、おセンチに
帰省する前は憂鬱だなどと書いていたが、実際帰ってみて、両親のなんとなく嬉しそうな素振りを見たら私も嬉しくなった。
「この時期だけは帰ってきて手伝ってくれるんだよ」と近所の人に言っている母を見て、やっぱり帰って来て良かったと実感した。
毎回父は美味い店を発掘して連れて行ってくれる。今回も食べに行ってきた。
私は高校卒業と共に家を出て、それ以来ロクに帰りもせず好き勝手やっていたので、家族に対していろんなことがやり足りていない。例えば家事の手伝いとか、送り迎えとか、そういう小さな事ですら、もう少し実家にいたら出来ただろうにと、今回しみじみ感じた。
ま、でも一緒に住んでたらなかなかそうもいかないよね。偶に帰るから出来ることなんだろうね。十代の私はとんだ我儘娘だったから、あのまま実家にいたら家族に対する想いは何も変わらなかったかもしれない。
家族の不仲にしても、唯一誰とでもケンカせず話せるのは私だけ(悪く言えば、誰にでもいい顔するお調子者)なのだから、私が家族の潤滑油として暗躍すればいいのだ。両親のケンカも愚痴も弟の言い分も、時に頷き、時にうまく諌めて、絡まった糸をほぐす役目・・そんな風に上手く立ち回れればいいよな。そういうのすごく下手だけど、逆に勉強にもなるしさ!
私に対する親の愚痴は・・孫のこととか・・まぁ弟が適当にフォローしてくれてるだろぅ、たぶん・・。
やっぱり孫のこと考えると「弟よ、早くそっちで頼むよ!」とか無責任に思っちまうのだった。しかし弟も変わってるからアテにならない。
将来弟のお嫁さんが手伝ってくれたら、両親もまた別な嬉しさがあると思う。でも今はまだ娘の私が手伝いに行こうと、決意を新たにして実家を後にした。
なんてね。
おセンチに浸る終戦記念日であった。
「この時期だけは帰ってきて手伝ってくれるんだよ」と近所の人に言っている母を見て、やっぱり帰って来て良かったと実感した。
毎回父は美味い店を発掘して連れて行ってくれる。今回も食べに行ってきた。
私は高校卒業と共に家を出て、それ以来ロクに帰りもせず好き勝手やっていたので、家族に対していろんなことがやり足りていない。例えば家事の手伝いとか、送り迎えとか、そういう小さな事ですら、もう少し実家にいたら出来ただろうにと、今回しみじみ感じた。
ま、でも一緒に住んでたらなかなかそうもいかないよね。偶に帰るから出来ることなんだろうね。十代の私はとんだ我儘娘だったから、あのまま実家にいたら家族に対する想いは何も変わらなかったかもしれない。
家族の不仲にしても、唯一誰とでもケンカせず話せるのは私だけ(悪く言えば、誰にでもいい顔するお調子者)なのだから、私が家族の潤滑油として暗躍すればいいのだ。両親のケンカも愚痴も弟の言い分も、時に頷き、時にうまく諌めて、絡まった糸をほぐす役目・・そんな風に上手く立ち回れればいいよな。そういうのすごく下手だけど、逆に勉強にもなるしさ!
私に対する親の愚痴は・・孫のこととか・・まぁ弟が適当にフォローしてくれてるだろぅ、たぶん・・。
やっぱり孫のこと考えると「弟よ、早くそっちで頼むよ!」とか無責任に思っちまうのだった。しかし弟も変わってるからアテにならない。
将来弟のお嫁さんが手伝ってくれたら、両親もまた別な嬉しさがあると思う。でも今はまだ娘の私が手伝いに行こうと、決意を新たにして実家を後にした。
なんてね。
おセンチに浸る終戦記念日であった。
2005.08.11
実家の手伝い
実家は一年の中でこの時期が一番忙しい。
私も小学生の頃から手伝いに狩り出されている。今年はばーちゃんの新盆が重なり忙殺される予定。。
でさ、友達にぼやいたんです。
「私、いつまで手伝いに行かなきゃならないんだろう。弟が結婚すれば解放されるのかな」
私的には、弟の奥さんが私の代わりに手伝ってくれるんだという頭があった。
ところが友人(既婚)の言葉がぐさっと来た。
「弟さんが結婚しても、手伝いには行かなきゃダメよ」
・・・。
だ、だよねぇ。
お嫁さんが旦那の実家の稼業を手伝うのが当然なんて、そんな都合のいい考え、イマドキ通じないわよね。(汗)
私が甘かった・・。
もし自分が嫁の立場なら、見知らぬ土地で地域密着な手伝いなんて考えただけでも鬱になる。なにせド田舎。なにかと煩わしい付き合いも多い。でも私は、この役目をお嫁さんにバトンタッチできる日を密かに夢見ている・・それは本音。
まあ無理だな。後継ぎ問題も暗礁に乗り上げまくっているしな!
帰省するの嫌だな。
両親は顔合わせれば文句の応酬。悪口ばかり聞かされるのも、仲裁に入るのも気が滅入っちゃうな。祖母が亡くなったら何か変わるかと思ったけど、そうでもなかった。長年培ったものはそう簡単に変わらない。
ま、のっぴきならない状況じゃないんだし、「どうにかなるさ」で済むうちはまだマシなんだろう。
まだ今は嵐の前の静けさ。あっちもこっちも。
でもさ、昔から「仲の良い家族」ってのに憧れてたんだけど、どうにも無理だったな。
私も小学生の頃から手伝いに狩り出されている。今年はばーちゃんの新盆が重なり忙殺される予定。。
でさ、友達にぼやいたんです。
「私、いつまで手伝いに行かなきゃならないんだろう。弟が結婚すれば解放されるのかな」
私的には、弟の奥さんが私の代わりに手伝ってくれるんだという頭があった。
ところが友人(既婚)の言葉がぐさっと来た。
「弟さんが結婚しても、手伝いには行かなきゃダメよ」
・・・。
だ、だよねぇ。
お嫁さんが旦那の実家の稼業を手伝うのが当然なんて、そんな都合のいい考え、イマドキ通じないわよね。(汗)
私が甘かった・・。
もし自分が嫁の立場なら、見知らぬ土地で地域密着な手伝いなんて考えただけでも鬱になる。なにせド田舎。なにかと煩わしい付き合いも多い。でも私は、この役目をお嫁さんにバトンタッチできる日を密かに夢見ている・・それは本音。
まあ無理だな。後継ぎ問題も暗礁に乗り上げまくっているしな!
帰省するの嫌だな。
両親は顔合わせれば文句の応酬。悪口ばかり聞かされるのも、仲裁に入るのも気が滅入っちゃうな。祖母が亡くなったら何か変わるかと思ったけど、そうでもなかった。長年培ったものはそう簡単に変わらない。
ま、のっぴきならない状況じゃないんだし、「どうにかなるさ」で済むうちはまだマシなんだろう。
まだ今は嵐の前の静けさ。あっちもこっちも。
でもさ、昔から「仲の良い家族」ってのに憧れてたんだけど、どうにも無理だったな。
2005.06.21
祖母の死 〜葬儀屋という職業〜
お通夜と葬儀は斎場に全てお任せという形にした。お葬式と言えば、各地域によってさまざまな風習があるように、うちの地域にも知られざる葬儀の風習があった。私は親から聞くまでそんな風習があったことすら知らなかった。みんなで輪になって念仏を唱えるとか・・聞くだけでもう、すごく大変そう。
しかし地域住民の高齢化、過疎化が進む中、風習を続けて行くのは困難だと父は考え、その辺は全部端折って一般的なお葬式だけにした。そうは言っても、湯灌、お通夜、火葬、納骨、告別式、繰り上げ初七日と、やることは沢山あり、バタバタと時間は過ぎていった。
慣れない私たちに代わって、斎場のスタッフの方々が本当に驚くほど何から何までやってくれた。穏やかでいて頼りがいのある、素晴らしい対応。大変行き届いたサービスであった。
担当スタッフは、20代、30代くらいの女性と、40代くらいの男性、まだ若い20代の男性。朝早くから夜遅くまで、毎日お葬式のお世話なんて、かなり神経使うだろうし、しんどい仕事だと思うんですよ。いろいろ修羅場も見てきたと思うんです。それでも穏やかな表情を一切崩さず、いつも傍らにすくっと立ってフォローしてくれまして。
すげーな。プロだな。社員教育が行き届いているんだろうなあ。とにかく感心した。同じ社員教育でも、ディズニーランドの徹底振りはわざとらしくて胡散臭くてたまらんのですが、とにかくこちらは自然で控えめなんです。
プロといえば、湯灌の人たちにも大変驚かされた。まず、絶対に笑わない。微笑すらしない。当然といえば当然だが、そうそうできることじゃない。
老衰で大往生ということもあり比較的和やかな雰囲気で湯灌が進む中、母が「あらあら、おばあちゃん綺麗にお化粧してもらって。お化粧がお上手なのねえ」と、湯灌担当の女性に笑顔で語りかけても、女性は沈痛な面持ちを微動だにせず、ただ見つめ返してくるのみ。だって人間、微笑みかけられたらつい反射的に微笑み返してしまうじゃないですか。でも彼らにはありえない。徹底して無表情。私など、真剣な場になればなるほど意味もなく笑いが込み上げてきちゃう不謹慎スパイラルにいつ陥るかと、気が気じゃなかったのに。
みんなで手足や顔を拭いたり、着物の紐を結んだりしながら湯灌は進んだ。黄泉への旅支度は昔ながらものであった。脚絆にワラジ、三途の川を渡る為の小銭をずた袋に入れた。祖母はドライアイスにガッチリ囲まれて、額を触ったらとても冷たかった。掛け布団さえも冷たくなっていた。顔はまるで眠っているようなのに、手や足は白く冷たく生気を失い、皮膚は蝋のようたった・・。それを見たらまた複雑な心境になった。
棺桶に故人が好きだったものを何か入れてあげてくださいと言われて、みんな真っ先に「お菓子!」と意気投合し、袋に沢山お菓子を詰めたのだった。
そしてお気に入りだった着物を掛けてあげた。
しかし地域住民の高齢化、過疎化が進む中、風習を続けて行くのは困難だと父は考え、その辺は全部端折って一般的なお葬式だけにした。そうは言っても、湯灌、お通夜、火葬、納骨、告別式、繰り上げ初七日と、やることは沢山あり、バタバタと時間は過ぎていった。
慣れない私たちに代わって、斎場のスタッフの方々が本当に驚くほど何から何までやってくれた。穏やかでいて頼りがいのある、素晴らしい対応。大変行き届いたサービスであった。
担当スタッフは、20代、30代くらいの女性と、40代くらいの男性、まだ若い20代の男性。朝早くから夜遅くまで、毎日お葬式のお世話なんて、かなり神経使うだろうし、しんどい仕事だと思うんですよ。いろいろ修羅場も見てきたと思うんです。それでも穏やかな表情を一切崩さず、いつも傍らにすくっと立ってフォローしてくれまして。
すげーな。プロだな。社員教育が行き届いているんだろうなあ。とにかく感心した。同じ社員教育でも、ディズニーランドの徹底振りはわざとらしくて胡散臭くてたまらんのですが、とにかくこちらは自然で控えめなんです。
プロといえば、湯灌の人たちにも大変驚かされた。まず、絶対に笑わない。微笑すらしない。当然といえば当然だが、そうそうできることじゃない。
老衰で大往生ということもあり比較的和やかな雰囲気で湯灌が進む中、母が「あらあら、おばあちゃん綺麗にお化粧してもらって。お化粧がお上手なのねえ」と、湯灌担当の女性に笑顔で語りかけても、女性は沈痛な面持ちを微動だにせず、ただ見つめ返してくるのみ。だって人間、微笑みかけられたらつい反射的に微笑み返してしまうじゃないですか。でも彼らにはありえない。徹底して無表情。私など、真剣な場になればなるほど意味もなく笑いが込み上げてきちゃう不謹慎スパイラルにいつ陥るかと、気が気じゃなかったのに。
みんなで手足や顔を拭いたり、着物の紐を結んだりしながら湯灌は進んだ。黄泉への旅支度は昔ながらものであった。脚絆にワラジ、三途の川を渡る為の小銭をずた袋に入れた。祖母はドライアイスにガッチリ囲まれて、額を触ったらとても冷たかった。掛け布団さえも冷たくなっていた。顔はまるで眠っているようなのに、手や足は白く冷たく生気を失い、皮膚は蝋のようたった・・。それを見たらまた複雑な心境になった。
棺桶に故人が好きだったものを何か入れてあげてくださいと言われて、みんな真っ先に「お菓子!」と意気投合し、袋に沢山お菓子を詰めたのだった。
そしてお気に入りだった着物を掛けてあげた。


