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2008.07.30
吐きそうな子供に席を譲らなかった婦人
「コンビニでゲロ吐いてたの、小さい子が」(S嬢はてな)
ゲロといえば思い出す。私が中学生の頃、母と一日中東京を歩き回った帰りのことである。時間に追われ、慌てていた私達は、出発間際の特急列車にとりあえず乗り込んだ。ドアの前に立ちっぱなしで、地元の駅まで二時間弱の旅。
だが、しばらくすると、私は乗り物酔いをしてしまった。たちまち顔から血の気が引き、嫌な汗が出てきた。そのうちまるで胃の中で攪拌機がぐるぐる回ってるような状態になり、ゲロが喉の奥からせり上げてきた。絶対ここで吐くわけにはいかない。でもとてもトイレまで歩けない。私はその場にしゃがみこみ、ゲロの襲来を知らせる特有の生唾を、何度も飲み下して耐えていた。
顔面蒼白の私を見た母が、せめて座れば楽になるかもしれないと、あちこち回って空席を探してきたくれた。たったひとつ空いていた席は、四人掛けのボックス席で、上品に着飾った初老の婦人と、その子供だか孫だか、幼児が二人座っていた。空いている席にはデパートの買い物袋が並んでいた。
母が事情を説明し、「その空席に娘を座らせたいので、できれば荷物を下ろしてもらえませんか」と頼んだところ、婦人はこんな風に返してきた。「私は荷物置き場として、この席の分のお金もきちんと支払っているのです。だからここに荷物を置く権利がある」と。結局、座らせてもらえなかった。
シートの背と背の隙間にうずくまり、母と婦人のやり取りを聞きながら、私が抱いたのは達観だった。婦人の非情にも毅然とした態度に、世の中にはたいした人がいるもんだと妙な感心を抱く一方、もしシートに座れたとしても、列車を降りるまでこの肉体的苦痛から開放されることは決してないだろうと分かっていた。本当に、あの辛さは耐え難い。
そしてなにより私が心を傷めたのは母のことである。自分も疲れているだろうに、恥を忍んで他人に頭を下げ、無下に拒否され憤慨している母が気の毒でならなかった。子供の為とはいえ必死になっている姿に、私はなんだか悲哀を感じてしまい、無性に涙が込み上げてきて、しばらくゲロと涙を一心に堪えていた。また別の意味でしんどかった。
今思うと、その婦人が本当に空席の分まで料金を支払っていたか、真実は分からない。もしかしたら、私を座らせたくないがために吐いた嘘かもしれない。考えてもみれば、誰だって今にもゲロ吐きそうなガキなんか、自分の目の前に座らせたくないだろう。さて自分だったらどうするかな。正直、参ったな、と思うかもしれないな。こういことは、こんな字面の場で「こうしたい」「ああしたい」と決意を述べたってしょうがないと思ってる。その場で何ができるかどうかは、その時、その場の自分を信じて委ねるしかないのだから。
ゲロといえば思い出す。私が中学生の頃、母と一日中東京を歩き回った帰りのことである。時間に追われ、慌てていた私達は、出発間際の特急列車にとりあえず乗り込んだ。ドアの前に立ちっぱなしで、地元の駅まで二時間弱の旅。
だが、しばらくすると、私は乗り物酔いをしてしまった。たちまち顔から血の気が引き、嫌な汗が出てきた。そのうちまるで胃の中で攪拌機がぐるぐる回ってるような状態になり、ゲロが喉の奥からせり上げてきた。絶対ここで吐くわけにはいかない。でもとてもトイレまで歩けない。私はその場にしゃがみこみ、ゲロの襲来を知らせる特有の生唾を、何度も飲み下して耐えていた。
顔面蒼白の私を見た母が、せめて座れば楽になるかもしれないと、あちこち回って空席を探してきたくれた。たったひとつ空いていた席は、四人掛けのボックス席で、上品に着飾った初老の婦人と、その子供だか孫だか、幼児が二人座っていた。空いている席にはデパートの買い物袋が並んでいた。
母が事情を説明し、「その空席に娘を座らせたいので、できれば荷物を下ろしてもらえませんか」と頼んだところ、婦人はこんな風に返してきた。「私は荷物置き場として、この席の分のお金もきちんと支払っているのです。だからここに荷物を置く権利がある」と。結局、座らせてもらえなかった。
シートの背と背の隙間にうずくまり、母と婦人のやり取りを聞きながら、私が抱いたのは達観だった。婦人の非情にも毅然とした態度に、世の中にはたいした人がいるもんだと妙な感心を抱く一方、もしシートに座れたとしても、列車を降りるまでこの肉体的苦痛から開放されることは決してないだろうと分かっていた。本当に、あの辛さは耐え難い。
そしてなにより私が心を傷めたのは母のことである。自分も疲れているだろうに、恥を忍んで他人に頭を下げ、無下に拒否され憤慨している母が気の毒でならなかった。子供の為とはいえ必死になっている姿に、私はなんだか悲哀を感じてしまい、無性に涙が込み上げてきて、しばらくゲロと涙を一心に堪えていた。また別の意味でしんどかった。
今思うと、その婦人が本当に空席の分まで料金を支払っていたか、真実は分からない。もしかしたら、私を座らせたくないがために吐いた嘘かもしれない。考えてもみれば、誰だって今にもゲロ吐きそうなガキなんか、自分の目の前に座らせたくないだろう。さて自分だったらどうするかな。正直、参ったな、と思うかもしれないな。こういことは、こんな字面の場で「こうしたい」「ああしたい」と決意を述べたってしょうがないと思ってる。その場で何ができるかどうかは、その時、その場の自分を信じて委ねるしかないのだから。
2008.05.04
みーやんのとんでもケチャップ
衣替えついでに押入れの整理を始めたら、いつまでたっても終わらない……疲れた。
こんなもん見つけました。

「みーやんのとんでもケチャップ」
知ってます?
80年代に小中学生だった200万乙女しか知らないはず。
当時、少女漫画誌「りぼん」で一世を風靡した読者コーナーです。
好きだったなあ。
通称「とんケチャ」、読者は「とんケチャっ子」。
あまりりにも人気があって、CDとカセットテープが作られたのです。
お小遣いで買ったわよ。
アップも載せましょう。さくらももこのイラストが、なにげにアートだな。

デビュー間もないさくらももこが毎号イラストを担当していたのです。
ちなにみに、みーやんとさくらももこは、後に結婚して離婚しました。
当時のりぼんの勢いといったら、すごいもんだった。
「ときめきトゥナイト」、「ちびまる子ちゃん」、「お父さんは心配性」、「ポニーテール白書」、「星の瞳のシルエット」……私的にはりぼん黄金期だったんだが、今はどうなのかな?
「待て、次号!!」が、ちょっとした流行語になったなあ。
当時、みーやんはりぼんの編集者で、とんケチャではDJ役を演じていた。ともすれば読み飛ばされてしまいがちな読者コーナーを、少女誌の一大カルト的存在に仕立て上げたみーやんの功績は大きい。やり手だったねぇ。というか、こういうのが好きだったんだろね。「くだらないけどなんか面白い」の雰囲気作りが上手かった。
このカセットは、スネークマンショーを意識して作ったらしい。私はスネークマンショーを知らない世代なので、そのへんは分からんのだが。
その後、中学生になった私が「ジャンプ放送局」にハマったのは言うまでもない。あの頃のジャンプはまさに黄金期で……(以下略)
こんなもん見つけました。

「みーやんのとんでもケチャップ」
知ってます?
80年代に小中学生だった200万乙女しか知らないはず。
当時、少女漫画誌「りぼん」で一世を風靡した読者コーナーです。
好きだったなあ。
通称「とんケチャ」、読者は「とんケチャっ子」。
あまりりにも人気があって、CDとカセットテープが作られたのです。
お小遣いで買ったわよ。
アップも載せましょう。さくらももこのイラストが、なにげにアートだな。

デビュー間もないさくらももこが毎号イラストを担当していたのです。
ちなにみに、みーやんとさくらももこは、後に結婚して離婚しました。
当時のりぼんの勢いといったら、すごいもんだった。
「ときめきトゥナイト」、「ちびまる子ちゃん」、「お父さんは心配性」、「ポニーテール白書」、「星の瞳のシルエット」……私的にはりぼん黄金期だったんだが、今はどうなのかな?
「待て、次号!!」が、ちょっとした流行語になったなあ。
当時、みーやんはりぼんの編集者で、とんケチャではDJ役を演じていた。ともすれば読み飛ばされてしまいがちな読者コーナーを、少女誌の一大カルト的存在に仕立て上げたみーやんの功績は大きい。やり手だったねぇ。というか、こういうのが好きだったんだろね。「くだらないけどなんか面白い」の雰囲気作りが上手かった。
このカセットは、スネークマンショーを意識して作ったらしい。私はスネークマンショーを知らない世代なので、そのへんは分からんのだが。
その後、中学生になった私が「ジャンプ放送局」にハマったのは言うまでもない。あの頃のジャンプはまさに黄金期で……(以下略)
2007.02.15
バレンタインデー
今いる職場は義理チョコ制度を廃止しているので、何事もなく平和なもんだった。
中学生の頃は、大抵みんな学校で渡したのだけど、必ずといっていいほど「持ち物検査」があるという噂が流れ、女子はみんな天井裏やトイレの掃除用具が入っている個室などに隠していた。そんな場所に隠されたチョコを貰うほうもなんかイヤだろうけど、あの頃はみんな、それなりに必死だったのだよ。
中学生の頃は、大抵みんな学校で渡したのだけど、必ずといっていいほど「持ち物検査」があるという噂が流れ、女子はみんな天井裏やトイレの掃除用具が入っている個室などに隠していた。そんな場所に隠されたチョコを貰うほうもなんかイヤだろうけど、あの頃はみんな、それなりに必死だったのだよ。
2007.01.22
私のダイエット経験

毎日欠かさずマラソンと、縄跳び500回して、入浴時は二の腕に内出血が起きるほど脂肪を揉みしだき、食事はご飯半膳と、気が狂ったように野菜炒めばかり食っていたら、いつの間にか体重が38キロまで落ちていた。心も体も軽くなった。
あれから早、20年…。
あの頃の意志と忍耐力と行動力が、今の私にはない!!
心も体も重い…。
2006.04.06
女子高独特のノリだった

今日は各地で入学式だった。
父兄と歩く女子高生を見て、フト自分の高校時代を思い出した。
私がいた女子高は、生徒会主宰の「新入生に校章をつける行事」が伝統だった。体育館で、二年生たちが一人一個新品の校章を手にスタンバイし、司会者の掛け声と共に、ぎこちなく並ぶ新入生の列向かってまっしぐらに走り出す。たちまち列は乱れ、新入生も上級生もごちゃごちゃに入り乱れて、わーわーきゃーきゃー。二年生は、新入生を誰でもいいから一人つかまえて、その制服の胸に「ハイ、入学おめでとう!」と校章をつけてあげるのだ。
新入生の緊張した面持ちが一気にほころぶのを見て、私は自分の一年前を思い出した。どんな人に校章をつけてもらったか忘れてしまったけど、素敵な学校だなあと感じて、入学できたことがとても嬉しかった。
いい行事だった。あれから15年以上経つけど、今も続いてるといいな。
2004.07.08
母さん、あの日の七夕飾り、どうしたでせうね?
母さん、あの日の七夕飾り、どうしたでせうね?
ええ、夏近所の河原から下流に向けて
丸ごと流したあの七夕飾りですよ。
母さん、あれは立派な不法投棄でしたよ。
僕はあのとき、ずいぶん心配だった。
だけど、流せば願いが叶うっていうもんだから。
母さん、あのとき向うから他所の家族来ましたつけね。
大きな竹を手にした。
そして流そうとしてずいぶん骨折っていましたつけね。
だけどとうとうだめだった。
なにしろ狭い川で、それに背丈ぐらいの竹がいくつも下流に詰まっていたんですもの。
(上記は事実に基づいたフィクションを西条八十の詩にのせてお送りしております…特に意味はありません自分が楽しいだけですはい)
子供の頃、七夕の日は家の裏にある竹林から一本切ってきて、折り紙や短冊を飾った。夕涼みをしながら笹の葉の音を聞いたり、ひらひら揺れる飾りを眺めるのがとても風流なひとときであった。
今ではあまり見ない光景だが、昔はこいのぼり、雛飾り、七夕飾りをするのは毎年の恒例行事だった。これは私にとってとてもいい思い出になっている。いつからかどれもやらなくなってしまったけど…。
そこでふと思い出してしまった。うちの地方では翌日に七夕飾りを川に流すと短冊の願いが叶うなんて言い伝えがあってね…なんの疑問も抱かずみんな竹をかついで河原に向かったもんです。川には色とりどりの七夕飾りが投棄…もとい、流されていて、とてもほのぼのした風景だったよ。20年も前の話だけどね。ほんとにあの七夕飾り、どうしたでせうね?
…今やったら、やっぱ逮捕されるんかな。言い伝えってのは怖いね。
そして願いが叶った記憶はない。
ええ、夏近所の河原から下流に向けて
丸ごと流したあの七夕飾りですよ。
母さん、あれは立派な不法投棄でしたよ。
僕はあのとき、ずいぶん心配だった。
だけど、流せば願いが叶うっていうもんだから。
母さん、あのとき向うから他所の家族来ましたつけね。
大きな竹を手にした。
そして流そうとしてずいぶん骨折っていましたつけね。
だけどとうとうだめだった。
なにしろ狭い川で、それに背丈ぐらいの竹がいくつも下流に詰まっていたんですもの。
(上記は事実に基づいたフィクションを西条八十の詩にのせてお送りしております…特に意味はありません自分が楽しいだけですはい)
子供の頃、七夕の日は家の裏にある竹林から一本切ってきて、折り紙や短冊を飾った。夕涼みをしながら笹の葉の音を聞いたり、ひらひら揺れる飾りを眺めるのがとても風流なひとときであった。
今ではあまり見ない光景だが、昔はこいのぼり、雛飾り、七夕飾りをするのは毎年の恒例行事だった。これは私にとってとてもいい思い出になっている。いつからかどれもやらなくなってしまったけど…。
そこでふと思い出してしまった。うちの地方では翌日に七夕飾りを川に流すと短冊の願いが叶うなんて言い伝えがあってね…なんの疑問も抱かずみんな竹をかついで河原に向かったもんです。川には色とりどりの七夕飾りが投棄…もとい、流されていて、とてもほのぼのした風景だったよ。20年も前の話だけどね。ほんとにあの七夕飾り、どうしたでせうね?
…今やったら、やっぱ逮捕されるんかな。言い伝えってのは怖いね。
そして願いが叶った記憶はない。
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